私の人生、危機が訪れると必ず救世主が現れる。
一度や二度ではない。
でも、本当に窮地に追いやられた時にしか現れない。
現れないときは、必ず自分の力で乗り越えられる程度の危機。
本当の危機が訪れると、救世主は姿を変えて必ず現れる。
最近、いや、私の人生、初めから否定され続けてきた。
ーー 愛する人が愛する人には決してこんなことはしない ーー
この人がこんなことするわけがない。
そのごくごく普通の価値観、概念を持っていたので、
そこに当てはまらないことが起きると、
どうしてだろう?
全て自分が何かおかしいのだろうか?
なんで答えが見つからないのだろう?
と、常に考える人生だった。
でも遂に、その人は現れた。
その人が現れるということは、自覚がなくてもきっと相当な局面を迎えているということなのだ。
「淳、それはイジメなんだよ。」
傷ついてきたのは気のせいなんかじゃない。
お前が悪いんじゃない。
それは、イジメなんだよ。
淳はイジメられていたんだよ。
とてもとても簡単なことだった。
誰が見ても簡単なことだった。
それを認めたくなくて、
見て見ぬ振りをしていたならば、
自覚があったことになる。
だけど私には、自覚がなかった。
その選択肢が根本から無い思考で捉えていたからだ。
だから「何故?」が取れなかった。
でも、救世主が教えてくれた。
目の前に起きてることをよく見ろ。
ちゃんと見ろ。
赤や緑や白のはずのものが黒に見えて、
黒を一生懸命赤や緑や白に見ようとしてて、
ずっと自分の目が悪いんだ、寝不足なんだなと疑わず、
眼鏡を沢山買い替えてきたような私。
よく見ろ。黒だろ。
ちゃんと黒に見えるだろ。
見えてるだろ。
黒なんだよ。
黒なんだよ。
黒は黒なんだよ。
やっぱりそうだったんだ。
やっぱりそうだったんだ。
そんなことがあるんだ。
答えが出せて楽になると同時に、悲しさで今まで耐えていた分の涙が溢れてきた気がした。
淳は優しすぎるんだ。
だからいつもそんな対象にされ易いのかもしれない。
優しすぎるとまで言ってくれる。
ここまで誰にも言えず、よく一人で耐えてきたな。
絶対に幸せになるんだぞ!いやなれる!
そうやって、私のドロドロを全部吐き出させてくれた。
私の恩人。
先日も友達が遊びに来てくれて、私の話を聞いて、泣かせてしまった。
淳ちゃん優しすぎるから…。
こんな人いないよ…。
絶対に良いお母さんになれる!
私が愛を受け止れないのも、
自己否定から。
肯定を一切許されず、否定され続けて育つと人はこんな大人になる。
でもそれを嘆いてはいなかった。
嘆いたって誰かのせいにしたって、何も始まらないことはわかっていたから。
その呪縛からどう抜け出せるかを日々考えてきた人生だった。
だけど今はもう、私を否定する人は周りにいない。
エールしかない。
そして最後に、
「離れた方がいい。」
私がいつもイジメにあってる人に言ってきた言葉をそのまま言われた。
イジメは逃げるが勝ち。
少しずつその人と繋がってるものを外していって、
いつか本当に自由になろう。
そう決めた。
私は、こんなにもイジメを受けても、人をイジメたりイジメ返したりしない。出来ない。
そして、人を愛することをやめない。
そんな人間になれてよかった。
私の人生が変わる。
そう思えてきた。