腹立たしいこと

あるファンから、ある精神科医の本を沢山送られてきた。

そして、かなり長いお手紙まで。

その精神科医はスピリチュアルに傾倒されており、何十冊と出版されているようだった。

そしてその手紙の主は、その精神科医を盲信していた。

 

その添えられた手紙を読み、私は物凄い腹立たしくなった。

手紙の主ではない。その医者にだ。

 

 

 

その理由を書く前に、言っておきたいことがある。

 

 

私には、よく宗教本、自己啓発本、スピリチュアル本が送られてくる。

私の日記やツイッター、ラジオでの発言は、

そんな本に救われた方々を刺激し、そんな本を贈りたくなるような空気をきっと醸し出しているんだろう。

 

そして、そんな本に救われた方が、思いの外、ファンの中には多いのだろう。

 

しかし、私はその様な本や世界を一切拒絶する人間も大嫌いなのだが(頭から毛嫌いする人)、

私には必要の無いものなのは確信している。

 

因みに、「頭から毛嫌いする人」と「自分の信仰以外は認めない人」、私には両者とも同じに見えています。

 

 

 

 

人は誰しも弱い。人は誰しも強い。

そして、人は誰しも楽しい嬉しいだけじゃなく、悲しい、厳しい、辛い、そんな感情も持ち合わせている。

 

それが人間だ。

 

そんなことは、ごく普通のことで当たり前なのに、

それらの本は、それを悪いという設定から始めるから苦手なんだ。

 

 

”大丈夫、あなたは弱くない。”

 

頭から、弱いと決めつけてかかる。

勝手に弱いって決めないでよ!

って反応するのが私みたいな人間です(笑)。

 

 

 

よく落ち込んだ時とかのツイートに、

「病んでますね」

と言われたりする。

 

本当に腹立たしい。

落ち込むことは病気なのか!?

負の感情は病気なのか??

怒りは病気なのか??

悲しむこと、無気力になることは病気なのか??

誰だって疲れて弱音を吐きたくなることはある。

思考が偏って、ちょっと迷子になることだってある。

それは病気か!?

って言いたくなる。

 

むしろ健康だわ!!!!

 

それがずっと続いていて、初めて病を疑うものなんじゃないかと私は思うし、

「病む」という言葉は、そう安易に使うものではないと思っている。

 

 

 

人も動物も、喜ぶ。怒る。悲しむ。甘える。

感情全て正常です。

 

そして人は、生い立ちや経験の積み重ねで、いろんな十字架を背負って生きている。

それだって人間だもの、全て正常です。それが人生です。

その課題といかに付き合っていくか、越えていくかが人生だったりするし、

それが人生の醍醐味なのに。

 

と、そもそも論で冷めるのです、私みたいな人間には。

 

 

 

いつでもニコニコしてる人がいる。

そして、教科書の様に人の悪口を言わない人がいる。

まるで絵に描いたような仙人だ。

 

私はそんな人間が一番信用出来ない。

腹ん中で何を考えているかわからないからだ。

 

 

ネットでは負の感情は否定され、それを「ヤンデイル」と称される。

ずっと笑ってる方が怖いわ!

 

思いやりとか、理性とか、人間には考える力も備わっている。

そっちはちょっと置いておいて、話し方はさておき、

自分の感情を正直に話す人は、話していればわかる。

いいことしか言わない人より、よっぽど信用できる。

心をさらけ出すということは、弱みを見せるということと同じだから。

 

 

本音を一切話さない人の笑顔は、とにかく気持ち悪い。

 

 

 

私を見ていて苦しそうに見えることはあるかもしれない。

何も包み隠さず話してしまう私だから、実際そうなってる時はある。

だけど、厳しいところにはいるが、そこから抜け出す方法なんて最初からわかってる。

わかってる上で、ここにいる。

つまり、サディスティックなんだ。

こんな人間には、人の助言など必要ない。

言われることは、すでに自分で痛いほどわかっているからだ。

 

そして、本当に弱かったら、弱そうに見えるそんな姿を、晒すことすらできないもんだよ。

 

 

 

そして、もう一つ。

世の中には、不思議なことはいっぱいある。

私の中にだって、不思議なことはいっぱい起きてて、

普通だと思っていたことが普通じゃなかったことなんて結構ある。

だけど、不思議だね、で終わり。

 

不思議なことが面白くて、

ファンからもらったり自分で買ったりしたオラクルカードなどをめくったりすることもあるよ。

そこで何度も同じカードを引いたりする不思議が起こる。

去年、占い師さんの横で引いた時も、同じカードを何度も引いたりしてね、

周りにいたスタッフたちがみんなゾッとした顔をしたのも覚えてる(笑)。

 

そんな不思議なことがファンタジックで、それが娯楽になっている。

どんなカードが出てくるかわからないってところがワクワクして楽しいの。

でも一喜一憂する遊びであって、それ以上の何かは別にない。

もろ個人的な遊び(笑)。

 

その不思議さから、私には特殊能力があるんだわっ!!!なんてならないのだ。

 

 

宇宙の仕組みが解明されていない以上、不思議なことはたくさんあって当たり前。

魂があるかないか、幽霊はいるかどうか、あの世はあるのかどうか、前世だ来世だ、

そんなスピリチュアルな世界を考えざるを得ない不思議なことが沢山起きてたって不思議じゃ無い。

 

宇宙の物の大きさだけを考えても、その辺の物差しで測れる世界なんかじゃない。

ミクロの世界はどこまでも小さく続いていて、

宇宙の広さを考えたら、人間どころか、地球どころか、太陽系どころか、銀河系すら無いに等しいほどの巨大スペースだ。

それだけで人間の思考範囲を超えてしまう。

私なんて、磁力や、重力で既にお手上げの不思議さだから、この世は不思議の塊にしか見えていない。

 

そんな世界に生きていて、そのようなことだけは全否定する人がたまにいるのだけど、

その方が不自然だってなんで気づかないんだろうと、いつも思っている。

常識という人間の物差しの中でしか考えられない人というのは確実にいて、

自分の言ってることに矛盾が沢山あることには一切目を向けず、

常識に当てはならないことをつつけば、適当な答えしか返ってこない。

そのような人って、話をしていると、

自分は冷静にものごと見ているという自負をお持ちなんだが、

逆に偏見に満ちていて、大抵つまらない。

 

 

オーラを見える人をどう思う?と聞けば、目の錯覚だ。とかね。

幽霊を見た人がいたけど?と聞けば、幻覚だ。とかね。

じゃあ、耳元で女の人の声がしたんだけど…。と言えば、気のせいじゃない?とかね。

確かにその可能性はゼロではない。

だけど、そう考える方が無理があるって状況の時って確かにあって、

信じる方がしっくりくる現象ってあったりするんだよね。

文字を文字でしか受け止めることができない人と似てるかもしれない。

ほんとつまんない、そーゆー人って。

 

でもね、そーゆー人はそーゆー人なの。そういう生き方の人なの。

話さなければいいだけの話。

話題が少なくなるだけの話。

 

盲信するのとは違う。

だけど、そんなふうに考えることもできるね!って、いろんな視点で受け入れることができる方が、

世界はとても広く広く感じると思うんだよね。

そんなふうに考える方が素敵だね!ってロマンを抱く方が楽しくなると思うんだよね。

やっぱり人生物事考えようで、景色はうんと変わるんだろうなって。

 

私は偏りまくって、そう思っている。

 

 

 

でだ。

 

とても腹立たしいと思ったことがあったんだ。

なんとそのスピリチュアルなことを説いてる医者は、

その手紙の主にとても無責任なことを告げていたんです。

 

そのファンの方は、私と似たような経験を同じ時期にするということで、運命を感じていたそうなんです。

いろんな共通点が書いてある手紙を読んで、

私には、ごくごく普通のことばかりで、こじつけでしかなく、

ただただ、そう夢見てくださることは光栄なことで有難いことなのですが、

申し訳ないけれど、ただの偶然です。目を覚まして…。と言いたくなることばかりでした。

 

しかし、その方は、どうもその医者に私と自分との共通点を話しに出向き、

その先生に、直接断言されて帰ってきてしまったようなのです。

 

あなた方はツインソウルです!と。

 

そこに私はものすごい腹立たしさを覚えました。

その人は、既にその医者を盲信している上に、私が運命の人だと信じ込んでしまっている。

その人の人生の貴重な時間を無駄にしてしまうような、希望や期待も持たせる発言です。

 

 

有難いことに、デビュー当時から、「僕はあなたの運命の人なんです!!!」

という人からの手紙を沢山頂戴しております。

残念ながら、そんなに沢山いるということは、運命の人ではないということです。

 

そして、仮にそっち系のスイッチを入れて話をするとして、

本当に運命の人がいるのならば、

一方的に思っているような関係性ではないと思います。

 

もしも本当に運命の人だったら、そんな医者に確かめに行く必要はなかった思います。

人に言われてわかるようなそんな感覚では無いと思うんで。

自分にしかわからないことだと思います。

 

そんな相手なら、きっと故意ではなくそれこそ運命の糸で引き寄せられて、ある時出会うと思いますし、

物理的にも気づいたらすぐ側にいるものだと思います。

お互いに無意識の中で特別な感覚を抱いていれば、巡り会ってしまうんだと思います。

説得して会うのではなく、出会ってしまうもの。

 

 

 

 

そして、そっち系のスイッチを切ってお話するならば、

いかようにもその人を自分自身で運命の人にできてしまうものかと・・・。

好きでもない人と結婚すれば、好きではないけど結婚する運命の人になったわけです。

また、すれ違うだけの運命の人、トラブルになるだけの運命の人、気づきを得るためだけに現れた運命の人、、、、と、

沢山の運命の人がいます。


 

人との共通点は作ろうと思えばいくらでも作れます。

私も恋をするとそうなります。

いいカードが出るまでカードを引きまくります。←意味なーい(笑)。

 


 

どうか、自分の人生を無駄にしないでください。

本当の運命の人を見逃さないで下さい。

あなたの好きな食べ物は、誰だって好きな食べ物です。

ちなみに、あなたの好きな春巻きは嫌いです(笑)。

 

いい人と巡り会えますように⭐︎