私の宇宙論

量子力学を独学で学びながら(最近は挫折してるのですが)、

本当に色んなことを知りました。


相対性理論、ビッグバンだけでなく、ビッグバウンス、グーゴルプレックス、多元宇宙論、仮想現実説、、、


興味を持つ雑学も都市伝説よりになってきた自分に、ちょっと警戒してるのですが(苦笑)、

でもその殆どは仮説にすぎません。

だからなんだ!の繰り返しで結局終わるのですが、

その無駄なようで為になるようで、答えのない世界を探求するのがとにかく面白くて。



厳密に言えば、都市伝説より量子力学の方がもっと現実的科学的ファンタジーです。

あり得ないことが現実だと科学で証明するもんだから、私の興味は未だ尽きることはありません。



その中に、「量子もつれ」という、とにかくこの頭では未だ理解できていない現象があります。


「シュレーディンガーの猫」もそうなんですが、

興味ある方は調べてみてください。

挫折しますけど。



でもそれ、実は幼い頃から思っていたことなんです。


くじ引きも、当たるか外れるかは見るまでわからない。

引いたカードは、確かにすり替わってない。

だけど見えない裏面は常に動いてるんじゃないかと。


その裏面を前方にいる人間がずっと目を離さず確認していたとしても、

私が見た瞬間、めくった瞬間、そのカードもその前方の人間の記憶や意識も、

瞬時に変わるんじゃないかって。

見るまで決まってないんじゃないかって。


量子力学に何故興味を持ったかというと、その量子力学のおかしな世界と、

私が子供の頃から思っていたことが、とても似ていたからです。




そして最近、都市伝説よりのネタですが、仮想現実の世界を唱える人が増えてきました。


その辺も興味ある方は検索してみてください。



私は常々、記憶に興味がありました。

記憶と夢の映像に、大差ないことにも。


記憶とは現実に起きたことのデータです。

夢はそのまんま夢です。

でも思い出すと、その映像は、

現実に確かに起きた出来事の記憶だろうと、夢だろうと、

どちらもぼやけた同じ映像なんですよね。


現実は、触れるし温度も味も体感出来るので、実感ありますよね。

夢は走りたいほど走れなかったり、不思議な遠近法だったり、夢を説明すると変な人になるくらいです(笑)。


だけど思い出せば、どちらも記憶の中のものになり、同じものになります。




「仮想現実説」とは、映画マトリックスと同じで、我々は仮想現実を生きているのでは?という説です。

また、世界は自分が動いてるところしか無くて、あとは無で、動き次第世界がデータ上に表示されるロールプレイイングゲームと同じで、世界は常に周辺にしかないのではないかという考えです。たぶん。



でも私の考えは、もしかしたらちょっと違うかもしれません。


私の生きてる宇宙には私しかいなくて、周りの全てが仮想なのかなと。

映画マトリックスは、本当の世界と仮想の世界が共通でしたよね。そしてみんなで共有してましたよね?

現実と仮想の二つの世界のみ。


そうじゃなくて、現実と仮想があるのなら、

今いるここは仮想現実で、その世界には実は私だけしか居なんじゃ無いかと。

みんなと共有していないんじゃないかなと。


現実はどうなってるか知らない。

私が思うに、現実という場所などはなくて、「意識」なんじゃないかと。


そしてここが仮想現実としたなら、夢と同じようなもので、

全てが存在していないのでは?

ということ。



そしてここからが肝心。

その仮想現実を、人それぞれ一人一人持ってるということ。

共有してなくて、それぞれ違う仮想現実があるということ。


でもって!!


その仮想現実こそ宇宙で、

1つの同じ宇宙の中に私達がいるんじゃなくて、

それぞれに宇宙があって別々の宇宙を生きてるんじゃ無いかなって思うんです。


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…と、これ以降がHPのアプリがバグって消えてしまいました。

記憶を辿って書いてみます。


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うまく言えないんだけど、くじ引きの時と同じようなものを感じているんです。



人それぞれ個々の宇宙を生きてて、

きっとほかの人の宇宙には柴田淳などいない。

私は私の世界で、歌手になりたかったから思い描いた宇宙で生きてるだけ。

独自の宇宙は、自分でいかようにも思い描けるんじゃないかと。


だからくじも、私が見るまでは流動的でいられて、それによって世界は瞬時に変われるんじゃないかなと。




でも実感してるし、現実としか思えないし、こんなに人が居るしって思っても、

1秒すぎれば過去になる。記憶になる。

夢と同じものになる。



つまり私達は、たった「今」という先っちょの一瞬しか実感がないんです。


一瞬しか感じることが出来ない現実は本当に現実なのかなと。




会ったことも無い人の一生に起きたことなんて、生涯知ることはありません。

それはロールプレイングゲームが、動いてるところしかデータ化しないのと同じじゃないかなと。



考えるほど、次元的ファンタジーに突入していきます(笑)。





宇宙を知ると、宗教が誕生した意味がわかってくる気がします。

理解できないもの、説明出来ないもの、理由がないもの、不思議なことがあり過ぎるからです。


何かのせいにしたい、何かの理由をつけて納得したい、って、そうなりますもん。


そして、未だ人間の物差しで宇宙の大小を決めていますしね。


宇宙の果てはどこ?とマクロの世界ばかり意識が向くけど、

ミクロの世界にも果てはないんですよ。

どこまでも続いていきます。



時間もそう。

誰が1秒はこれだけって決めたの?

人によって速さが違う。


スポーツ界の1秒はもんの凄く長い。

トイレに行きたい時ほど、エレベーターはゆっくり動く。

演者にとって開演時間はすぐくる。

楽しいことはすぐ終わる。

嫌な授業はくそ長い。


でもそれ、気のせいじゃなくて本当だと思うんです。

時間は常に歪んでると思うんです。




心拍数の早いネズミの時間はとても早い。

彼らを見てると物凄くせせこましく動いてるように見えます。

まるで早送りしているかのような動き。

だけど、私達と時間の流れるスピードが違うだけで、彼らも私達と同じように、普通の速さで生活している気がするんです。




地球のこの場所で5分しか経ってなくても、

宇宙の場所によっては、10年経ってたりする現実がある。

でもそこでは普通の5分なんですよね。


自分が絶対なら、時の流れに差があるとも言えなくなる。

宇宙のあそこの10年は地球では5分だ!

なんて言えなくなる。

今が現実なら、今は今でしょ。

5分はどこに行っても5分でしょ?



※  記憶を辿って書いてるので、トンチンカンになってきました。

脈略がなくなりました。

すみません。





量子力学をきっかけに都市伝説に興味を持ち、YouTubeを漁るようになりました。


ここまできて、地球平面説などというものが出現までして、かなりドン引きしましたけど(苦笑)、

そこをバカにしないで一度真面目に考えてみる。


そうすると、自分の目で地球を見たことなんて、考えてみたら今まで一度もなかったことに気付かされるんですよね。


写真がある。

宇宙の映像がある。

天気図がある。

宇宙飛行士は見てる。


そんなのなんとでもなりますよね。


飛行機もその辺を旋回してるだけかもしれない。

沖に行くほど見えなくなるのは地球が丸いからと教わりました。

だけど、遠くになれば対象物は小さくなる。波打つ海面で隠れてるだけかもしれない…。


と、地球平面説を肯定的に突き詰めていくと、自分に萎えてくるのでこの辺でやめておきますけど(笑)。




人に言われたから、

みんな言ってるから、、、


このように、当たり前だと思っていたことの根拠があまりにも弱いものが、

実は沢山あることに気付いていきます。


実感してるからと言っても、一瞬過ぎれば夢と同じになる「現実」。


宇宙がなんだ以前に、現実って?夢って?って考えると、

ここは不思議の世界でしかないことがわかると思います。




因みに私は幼い頃、

世界地図は地球を平面にしたものだとは知りませんでした。

左の端が右端になると知った時の驚きたるや(笑)。

世界地図には裏面があるんだとずっと思っていました。


筋金入りのアホだったんですね…。

実話です。



よくわかんない文になっちゃった。

こんな空想の中にいる柴田でした。