アーティストじゃなくてミュージシャンの練習

40年後に、役立つ日が来るとは。

 

私は3歳の頃から中学まで、英才教育の様に厳しいピアノのレッスンを受けていました。

小学5年生の頃、母が音大付属中学の受験の為に本気でグランドピアノを買おうとしていたのを察して、

私は音大には行きません!と意思表示した瞬間からスパルタ教育が終わりました。

子供ながらにグランドピアノを買ってしまったらもう逃げられないと思ったから。

私はピアノが大っ嫌いだったんです。弾きなさいと言われると、本当にお腹が痛くなっていたくらいです。

しかし、その日から母は、練習しなさいと一切言わなくなった。

それが逆に恐ろしくて、自主的に練習をするようになりました。

でも目標がない練習は徐々に身が入らなくなり、やがてスパルタ教室をやめ、趣味で出来る練習しなくても怒らない先生のレッスンに変え、いつの間にかその教室もやめていました。

 

その中途半端なピアノのスキルを使って、20才から作詞作曲を始めるのだけれども。

 

そして約19年、その手法でずっと曲を作ってきました。

だけど、サポートミュージシャンをつけてもらえず無理やり弾き語りイベントをやらされていたデビュー当時くらいしか、ピアノを披露するとか、演奏するということは一切やってこなかった。

ライブの一場面で一曲弾き語るということは何度かやってきましたが、本音を言うと、未だに得意でないし好きではない。

 

アルバムももう12枚も出してきて、その中にも弾き語りしている曲は何曲かある。

譜面は書かず、その場で構成を考えて、フレーズを考えて、一発勝負。

二度と弾けないアドリブ伴奏を収録してきたんです。

 

私は作曲した後、アレンジャーにアレンジを頼みます。

伴奏のレコーディングは見学コースで、私がやることといえば、仮歌を入れるくらい。

ピアノはアレンジしたアレンジャーが弾く。

いつだってそうだ。

 

大っ嫌いなピアノは作る時だけで、収録する時はアレンジャーが弾く。

 

そうやって今までずっとやってきたんだ。

だからピアノで大御所のプロのミュージシャンとピアノ演奏なんてやったことは、

20年近くやってきて一度もなかった。

 

ところがだ!!!!

 

 

私の神さまのようなあるミュージシャンでプロデューサーが、

「この曲は淳ちゃんが弾いてね!」

なんて言ってきたのだ。

頼まれたことなんて、初めてのことだった。

 

えええええーーーーーーっっっ!

と思ったけど、有名なミュージシャンの伴奏で歌うことはあっても演奏の共演なんてしたことがなかったし、こんなこと言われる日が来るなんて思ってもいなかったから、そのお願いを断ることも勿体無いと思ってしまって、即承諾してしまったのです。

 

そこからは大変です。

頂いた譜面は簡易的なもので、私のアドリブがそのまま譜面になっているから不規則で、気まぐれで。

なんと譜面を見ると弾けなくなる事態になってしまった。

譜面を見ないほうが弾けるってドユコト?と思ったけど、

気が小さい私。いつも仲良くしてくださる大御所の方々だけど、共演は初めてのこと。

失礼のないように、ご迷惑をおかけしないように、ちゃんと練習していかなきゃ!とプレッシャーは大きくなってきました。

結局、ちまちまと苦手な部分などを具体的に書き直していくことにしました。

 

結局アバウトな譜面には変わりなかったけど、整頓すると、譜面があった方が本当に楽だね!(当たり前です)

整えたらスラスラ弾けるじゃないですか!

 

ここで思ったのが、やっぱりクラシックをやっていたんだなーーとか、

私ってピアノ弾けるんだなーーーとか。

改めてスキルを持ってるんだと知りました。

 

もしかしたら弾き語りが嫌いなのは、譜面がないからかも(笑)。

 

あ、今まで披露してきた全ステージ、譜面ありませんでした。

譜面台に乗ってるのは大きな字の歌詞です。

歌詞の端っこに、危ういところだけ、小節の頭の左手の小指で弾く音(ベースの音)をドレミで書いてただけ。

 

嘘でしょ!?とミュージシャンのお友達に驚かれたけど、譜面用意してない無精の方が私は恥ずかしかった。

 

 

そんなこんなで、今日は譜面を整えて、20年ぶりの放送のドラマ「やまとなでしこ」を背中で見ながら、

せっせと練習を繰り返しました。

ピアノ練習用のカラオケも頂いて!!!!

 

 

レコーディングまであと数日。

なんとか間に合いそうです。

 

楽しみだなーーーー。

でも不安だなーーーーー(笑)。