なぜ植物を愛するのか

また4時台に起きてしまった…

明日辛いぞぉ😭

今日は6:30~19:30まで

ずーっとツイキャスやってたね

勉強もせずに

そこでふと思い出したんだけど…


私がなぜ植物を枯らさず根付かせて

花束を鉢植えに変えてしまうのか

掛け合わせて新しいバラを作ったり

ある意味実験的な栽培を繰り返すのか


私の植物好きは

大きなお庭を持つ母の影響と思ってた

違う

もっと昔から

農学部の東大と呼ぶ人もいる東京農大に行って

そのバイオサイエンス学科に入り

青い薔薇を作りたいって夢があったんだ


サントリーが開発してくれたけど

薔薇愛好家たちは

今も世界一の薔薇を目指して

独自に新種を作って楽しんでる


昨日もいくつか花瓶から鉢に移行した子達がいる


切り花には切り花の、鉢植えには鉢植えの美しさがある

部屋の中に季節を飛び越え春を魅せてくれるのは

切り花しか出来ない


私はそんな切り花の在り方を完全無視して、繰り返し見れるように今も実験栽培を繰り返して、鉢植えにしちゃってるんだけど


植物が芽を出し根をはやし、土に戻してもみずみずしさを失わず、

やがて成長を始める姿を見るのは

本当に充実感に溢れ、生きてることを実感するんです




私が出会った人間の中での話ですが、

動物を愛せない人は動物を汚い、やかましい目で見る人が多く、

扱いも愛を全く感じなかったりします。

まぁ愛せないのでそうでしょうね。

例えば、犬ならば、犬の気持ちを読み取ろうとするどころか、戸惑っていたり、唾液が手に付いただけで猛烈に迷惑そうな顔をしたり、吠えられたら敵意剥き出しにしたり…。

まぁ、愛せないのでね。

すると、そーゆー人の大抵が、幼少期に動物にふれあったり飼ったことが無い人で、

中には子供に対しても、自分の子供であっても、甘えてくることがうっとうしいと、愛せない人もいて、

そのような人は植物なんて以ての外だったりします。

すぐ枯れるし、面倒くさいからと…。


花は簡単に枯れませんよ?

枯らすのは、花を愛でていないからです。

全く花を見てない。花を楽しんでいないからです。


私は少なくとも、

ムツゴロウさんのように、愛を湯水の如く向けてくる動物、そして子供には、倍返しで愛情を表現して幸せにしてあげたいし、

花も枯れてほしくなくて、こうして何週間も何ヶ月も、生かしてしまうほど愛してしまう。


愛に餓えてるから、愛してしまうのかもしれないけど、

動物も子供も植物も愛せる人間で本当に良かったと思う。

そして、愛情深い人が好きだって、改めて思った。




動物好きな人は、自分の大切にしている存在が大切すぎて、他にはとても冷たい人とかたまにいて、

愛が深いが故のトラブルも多くて色々あるんだけど(苦笑)、


でも、

花が好きな人って、植物を愛せる人って、優しい人しか見たことない。




愛に乏しい人は、見てて悲しい。

動物の扱いすらも、見てて悲しい。

愛を向けてくる子供を愛せないことに理解を求められても、全く理解できない。



幼少期に動物を飼ったり、朝顔の種を撒いたりすることは、

本当に人格に影響すると思ってる。



動物は話せない。

だから必然的に動物が何を考えているのか、表情で読み取ろうとする。

それってつまり、相手の立場に立って考えることなんだよね。

言葉が交わせないからこそ、辛くないか、我慢してないか、楽しいか、常に相手の気持ちを考えることになる。とんでもない教材だと思うんです。

愛を求められる喜びも、与える幸せも経験できる。


飼うことが出来なかった人でも、動物が好きな人っていて、

そーゆー人は、きっとそんな喜びを自然と知っていたり、求めていて、自ら触れ合えるところに動いていた人が殆どなんだよね。

飼えないけど野良猫を世話してたり、コミュニケーションを取ってた話をよく聞く。



植物も同じ。

花も木も話せない。

でも、よく見てたら、花の声も木の声も聞こえてくる。

生き生き咲いていたら、微笑んでるように見えたり、

夜になって花を閉じたら、眠って見えたり、

水が汚れてる!寒い!暑い!早く土に植えてっ!

って、助けを求めていたりする。

それに応えてあげたら、植物はいつまでも生き続けてくれる。

だから応えたい、気づいてあげたいって思う。

植物も、必ず愛を返してくれる。




愛情深い人が好きだなぁ

優しい人

慈愛に満ちた人


動物を愛せる人

植物を愛せる人

花を楽しめる人…


花は必ず愛に応えてくれることを知ってるんだろうな