皆様、大変遅くなりご無礼をお許し下さい。
新年明けましておめでとうございます。
今年は25周年をいよいよ迎えます。
ホールツアーも控えておりますので、是非皆さんと25年の節目を過ごせたら嬉しいです。
頑張ります!!!!
さて、新年早々ご報告です。Xとインスタグラムでは報告済みですが、オフィシャルではまだでした。
重ねてご無礼をお許しください。
去る2026年1月24日朝8時に、我が家の宝物であるボストンテリアのこむぎが天国へ旅立ちました。
グッズやSNS、ジャケット、取材などで度々取り上げ、私と共にファンの皆さんに大変可愛がっていただきました。
本当にありがとうございました。
沢山のおもちゃ、お菓子、お洋服、溢れる愛情と共にたくさんの贈り物もいただきました。
本当に言葉では言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。本当にありがとうございました。
こむぎの体は健康そのものでした。SNSでも書きましたが、バッテリー切れそのものでした。
全然元気だったのです。信じられないくらい血液検査は健康優良児。体も内臓もどこも元気でした。
ただ、半年前に一度てんかんのような発作を起こしたらしく、そこからガタガタと脳がおかしくなっていった気がします。
耳が遠くなり、ボケからくる無駄吠えが始まり、半分白内障だったのもあると思うのですが、目がかなり見えなくなったのか頭突きで歩くようになり、くるくる回る徘徊が始まり、12月からは気づいたらどこかに挟まってることが増え、年が明けたら、手足は動かせるのに全身に力が入らない、脱力状態が始まりました。
これらたった1〜2ヶ月での急速な変化でした。1ヶ月前までは異常行動であれ、自分で歩けていたわけですし。
家族との関係が良くなく、こむぎを置いて度々家をあけていた私は、本当にこむぎにとって冷たい飼い主でした。
なのに、家を空けたり戻ったりを繰り返してる私を、こむぎは最後、必死に生きて待っててくれました。
最後の瞬間を、覚えている限りここに書きたいと思います。
お正月明けからずっとこむぎのそばにいたものの、やはり喧嘩をしてしまい数日家を空けていました。
しかし、毎日メールでこむぎの様子の報告を受け取っていると、いてもたってもいられなくなり、23日に大好きなミニストップのソフトクリームを買って再び帰宅しました。
しかし、数日空けただけで、もうソフトクリームすら食べられない状態になっていました。
そして、その夜24日未明に、母に苦しそうな呼吸に変わったと起こされました。
その時は水を飲ませて急変したとは知らされていませんでした。
私は、こむぎを抱き上げ、顔は見えませんが、立ってる状態に近い体勢に抱えて体を起こしました。
いつからこうなった?と聞いたら、そこでようやくお水を飲ませてこうなったと聞き、じゃあ水が原因じゃないか。なぜそれを早く言わないの!?と激怒しました。
暫くしたら荒い呼吸は落ち着いてきたものの、息はまだ少し荒く苦しそうで、水が絡む音が聞こえていました。
きっと誤嚥してしまったのだと思いました。
こむぎが苦しいのに寝てなんていられないと、ずっとこむぎを見守っていました。
そうです。こむぎは一睡もしてなかったのです。ずっとずっと苦しんでいた。
やがて朝を迎え、明るくなってきて家族が起きたので、バトンタッチし、ほんの少しだけ休ませてね…と1時間ほど自分のベッドで目を閉じると、やがて小さな声で母が私を呼んでいるのに気づきました。
こむぎに会いに行くと、もう呼吸はしていませんでした。
一目で死んだとわかりました。
胸に耳を当てると、心臓の音が聞こえました。
私は大きな声で「こむぎ、よく頑張った!凄く頑張った!ありがとうね!こむ、好きだよ!大好きだよ!」と言いました。
呼吸は止まってもまだ生きてる、絶対聞こえてるって思ったからです。
そしてもう一度胸に耳を当てたら、もう心臓の音は聞こえませんでした。
苦しい姿を半月見てきて、静まり返った部屋を感じて、こむぎがようやく楽になれたと思えて、涙はなぜか出ませんでした。
こむぎが楽になったと、ただただ良かった…と思いました。
きっかけが何であれ、遅かれ早かれ数日の違いだったはず。もう本当に最後の最後だったから。
ただちょっと苦しめちゃったのは可哀想だったけど。
徐々に老化が始まり、長い介護生活を終えて亡くなるのとはまるで違う。
一気にバッテリーが切れて、ハイ終わり!って感じ。事態を飲み込む時間がないほど。
でも、本人が一番、何が起きてるんだ?って感じだったと思う。
心はバリバリ元気なのに、いきなり思い通りに動かなくなって、苦しくなって、まるで地獄だったと思う。
だからそんな辛い日々がこんなに短くて、実は良かったのではと思っている。
本当に命の最後の最後までフル稼動だった気がする。最後の一年くらい、エコモードにしても良かったのに、、、。
私が実家に戻ったのは、年末から一日中鳴き続け、家族全員もう死んでしまうと悲観し決めつけていたお正月明けでした。
しかし、こむぎは鳴くことも徐々になくなり、再びご飯を食べ始めました。
うどんもイチゴもバナナもドッグフードも。そしてマグロを。
マグロは、お正月から目の色変えて食べまくっていたそうです。
なので、この子まだ死なない!脳はおかしくなって体が言うこと聞かなくなっちゃっただけで全然元気だ!と思ったんです。
そして、意識は元気そのものなら、ずっと寝ているのは想像しただけでも地獄すぎる!!!!と思ったので、
こむぎをいつもの車で行くお散歩とお買い物コースに出かけました。
体を起こして助手席からの眺めを見せて、
大好きな公園に行って、
動かなくても補助輪に乗せていつもの目線で公園の景色を見せて、
そして帰り道は大好きなミニストップのソフトクリームをみんなで車の中で食べました。
こむぎも夢中で食べていました。
家族もみんな、もうダメだと思っていたけど、
こんな介護が必要だけど、もしかしてこの生活がこれからもずっと続く?
と思い始めてしまうほど、こむぎの精神はとても元気だったのです。
あの時、外出して本当に良かった。
それが最後のお散歩になるとは思わなかったけど、一回でも行けて良かった。
出来れば、あともう一回くらいいつもの公園に連れて行ってあげたかったけど。
ただ猛烈に寒かったのと、その後また家族と大喧嘩して、私は23日まで再び数日家を空けてしまったんですよね。。。。
23日に戻ったら、こむぎは小さな呼吸で私を必死に待っててくれました。
こむぎの隣で、メソメソしてたら、スゥスゥ呼吸してる途中で、ほんの少しだけ耳がぴくぴくと動く瞬間がありました。
その後母がお布団をめくると、立派なウンチがしてありました。
帰宅した時より、こむぎの目に潤いが戻り、とても気持ち良さそうだったのは、ウンチが出たからだったのね。
良かった、すっきりして天国に行けて!
そして翌朝、こむぎが息絶えて皆呆然となる中、
気持ち悪いほど冷静な私は、こむぎを最後に抱っこしたら?と、こむぎを抱き上げ父に渡しました。
父は、父の腕の中でくたーとうなだれるこむぎに絶えられず、腕に抱える力も入らず、無理だ…と即座に返され、泣き崩れました。
あの父がです。
そしてみんなで、大の大人三人で、わんわん泣きました。
その夜は、こむぎを抱いて寝ました。
冷たく硬くなったこむぎは、こむぎなんだけどこむぎがいなくて。
でもどうしても寝てるようにしか見えなくて、そこから私は変になっていきました。
現実がよく分からなくなりました。
火葬した時も、よく分からない感情でした。
ただ、炉にガスが点火された時のあの重低音を聞いた時には、こむぎが殺されたような恐怖感を抱いてしまいました。
動物は虹の橋を渡ると最近良く聞く。どこから生えてる虹なのかなと、冷めた私はピンとこないのだけど(笑)。
初代のアンコ、そしてビビアンとカズ、猫のけん、たみ、保護猫のクミ、ハムスター、ひよこ、いっぱい天国で待ってる。
そして、近所のお友達もいっぱい待ってる。
だから、沢山の大きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが待ってるから大丈夫だなと思ってる。
アンコとビーとカズがこむぎをどっしり可愛がってくれてそう。
アンコは、こむぎが頼りにしそう。アンコの後ろを歩いてそう。
ビーはお母さん目線で可愛がってくれてそう。
カズは妹かな?なんかこむぎがお尻突き上げて仕掛けてそう。カズは面倒臭そう。でもカズと寄り添って寝てそう。
猫達はこむぎをじっと観察してそう。一緒にお庭で日向ぼっこしてそう。
小話。
こむぎもメグも家に来る前、カズが死んですぐ、私は不思議な夢を見ました。
ダルメシアンと小さな黒い犬を引き連れて歩いている母の後ろ姿を夢で見たのです。
ただその夢を見たことを、こむぎを迎えメグを迎え、母とお散歩に出かけ同じ光景を見た時に、デジャヴとして思い出すまで忘れていました。
でもそのダルメシアンは茶色い斑だったんですよね。あとで検索したら本当に存在することを知ってびっくりしました。
メグは黒の斑でしたね(笑)。
もうすぐ初七日です。まだ近くにいるかな。
私の部屋には、こむぎが散らかしたままのおもちゃがそのままになっています。
こむぎ、片付けないとダメじゃん。
外付けハードディスクに、こむぎの動画が沢山入っていました。
数本見たけど、なんかピンと来ません。
たまに涙が出るんですけど、それもよく分からない涙です。
多分、まだ死んだとわかってないのかもしれません。
頭でわかっていても、心がわかっていない。
なぜなら今までも散々こむぎを家に置いて出て行ってたから。
家に帰ればいる。会えなくてもどこかにいると、無意識に思っているんだと思います。
家に帰って居間にいなくても、二階にいるんだろうと。
ベッドにいなくても、誰かのお布団の中で寝ているんだろうと。
私はこむぎを可哀想な飼い方をしてしまった。
その罰として、私はもしかしたら、こむぎを失ったことを一生実感することなく生きていかねばならないのかもしれない。
つまり、ちゃんと別れられないまま生きていくんです。
それもとても辛いかもしれません。
なぜなら、こむぎを人に任せたまま、会いにも行かず、好き勝手暮らしている無責任な飼い主状態と同じになるからです。
だらだらとすみません。時系列が入り組んだ文章になってしまいました。
わかりづらかったらごめんなさい。
とりとめのない文章でごめんなさい。
今は何が言いたいのかも分からないです。
また改めて日記を書きます。
新年のご挨拶も、こむぎのことも、全く報告していなかったので、とりあえずタイプしました。
本当に本当にこむぎを可愛がってくれてありがとうございました。感謝してもしきれません。
お葬式から帰ってきたら、メグはこむぎが寝ていた一階の和室の布団で勝手に寝始めました。
こむぎがみんなに囲まれてて、羨ましかったのかもしれません。
それか、何か感じているのかもしれません。
なので母は、そんなメグを見て、メグの残りの人生は二階で寝ることはやめ、その和室でメグとメグの最後まで添い寝することに決めたそうです。
メグも足腰が弱くなり、もうかなり前からベッドのある二階に上がれなくなっており、一人でリビングのソファで寝ていたんです。
最近、そのソファにも上がりづらくなってたので、丁度良かった。
トイレの時にママを呼ぶのも呼びやすいしね。
メグもきっとそんなに長くないから、残りの人生、こむぎがいないお家で、みんなを存分に独り占めして欲しい。
思いっきり甘えさせてあげようと思います。
メグのことは任せてください。
